ポケットのなかは暗くて、帽子がみつからない RSSフィード

死体 性病は偽装している。まるで生きているかのように。
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2007-09-02

触覚で読む 01:13 触覚で読む - ポケットのなかは暗くて、帽子がみつからない を含むブックマーク

ゴンベナナシノさんがどっかで「書くことは祈ることで納得してるけど、じゃあ読むことは?ってのがうまく落とし込めない」みたいなことを言ってて、じゃあ俺は読むことは触ることだと言いたい。「群盲象を撫でる」みたいな。

そんで触覚頼りオンリーで判断する人もいれば、内側を想像したり、メカニズムを考慮したり、騙されてるんじゃないかと疑ったり、ていう。そこで客観性て目が開くことへの信仰なのかなー盲目的な。盲目的な。

ところで「群盲象を撫でる」て言葉の、例えとしての分かりやすさがあって、一方分かりやすさで割り切ってしまうことへの危うさみたいなのもあって、既に語られた言葉が増えるほど語ることは複雑になっていく、のだとしたら、ややこくてかなわんですね。


あとインターネットで失言みたく読まれちゃうものが増えた気がするのですが、触覚で読む人が触覚で発言する機会が増えたからなのかしら。しかししかし、そゆのを失言と読むてのも、触覚頼りで読んだことをそのまま発言してるだけかもしれません。『Fiction Zero/Narative Zero』てゆ雑誌で東浩紀の旦那が、「皮膚感みたいのでたやすく分かり合うのってうさんくさいよねー」とか書いてて、東の旦那の嗅覚はほんま犬並みやで。動物か。


結局は「価値のある読み方」を「うまく書く」ということになるのかな。でもでもそうすると「価値」とか「うまい」とかよく分からなくなって、なかなか書いたりできませんので、それは困ります俺が。

その辺クリアするのは、価値観を分かりやすく外部化する、ということになりましょうか。その価値観こそが、人格。たとい偽装でも人格なのです。

まただ。まただよ。また結論ここにいった。最近二つ、三つのことをぐるぐる回してしか書いてない気がするよ。

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